ライフプランから目標をブレイクダウンする 〜株式会社LITALICO 長谷川敦弥氏インタビュー(前編)〜


過去にガイアックスで活躍したたくさんのインターン生の中に、卒業後も語り継がれるインターン生がいます。現在、株式会社LITALICO(りたりこ)代表取締役社長の長谷川敦弥さんは、そんな一人です。名古屋大学在学中、ガイアックスで3年間インターンを経験した後、新卒でLITALICOに入社、2年目の2009年8月に社長職を引き継ぎ、今年で6年目を迎えます。長谷川さんのガイアックスでの経験についてインタビューしました。

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インターン5ヶ月で2000万円の売上目標を達成

2005年4月、名古屋から上京してきた長谷川さんは、NPO法人ETIC.を通じてガイアックスでのインターンシップを開始、Webの広告営業を始めます。

入社してすぐ、売上目標を立てるように言われたので、いくらだったら社員の中で一番になれますか?と上司に聞いたところ、月1500万円と教えてもらい、1500万円に目標設定しました。ところが、当然ながら即刻挫折。それでも、悔しかったので目標は下げませんでした。ふつうに広告営業を積み重ねても、絶対に達成できない金額です。目標を達成するための手段は自由だったので、広告営業はきっかけとして、マーケティング全体に効果が出るような新規事業の企画提案を続け、5ヶ月後の9月についに月2000万円の売上を上げました。

その後も成果を出し続け、1年後には名古屋営業所のリーダーとなります。既存のサービスや広告メニューを売るというよりも、クライアントの課題に対して、ゼロベースでソリューションや新しい事業を創造するスタイルで仕事をしてました。なぜ、大きな目標に対しても徹底的に成果を出し続けることができたのでしょう。

新卒研修講演_6

入社直後がとにかく衝撃的で、目標や給料は、与えられるものではなく、全部自分で決めることに驚きました。ライフプランから落としこんで自分の目標について考えたのも初めてのことです。会社から用意されていることは何もなかった。自分の職業観がいっきに形成された気がします。ガイアックスでは上司が丁寧に仕事を教えてくれるのではなく、むしろほんとんど放置(笑)、かなり自由にやらせてもらえる環境でした。ジャングルの中に身一つで、ぽんと放り出された気分になり、ここは自分で考えて自分で切り拓いていかなければならない世界なのだと気づきました。

入社してすぐ、自分で決めた漠然とした目標に対してどこから手をつければいいかわからないと当時の上司に相談したところ、「わからないことをわかるために行動を因数分解したらどうなるか?」と問われ、その考え方に目から鱗が落ちたと言います。

どんなに大きなことを成し得るにも、まず目標を鮮明に描き、そこから逆算でブレイクダウンさえできれば、あとは実行&リプランというサイクルを回すだけ。そうすれば絶対に実現できるという考え方の型を知って、これは魔法だ!と思いました。それまでは漠然と、世界を良くしていく、ということだけは決めていましたが、その方法が何一つわからなかった。この型でやれば世界を変えれるんだと確信をもつことができて、すごく嬉しかったのを今でも覚えています。

あまりに興奮した長谷川さんは、地元の友人たちに世界を良くしていく方法がわかった!と、その喜びを熱弁したくらいだったとか。

インターンの目標は世界を変える能力を身につけること

インターンでありながら、自分の仕事にオーナーシップを持って取り組み、成果に邁進できたのは、自分次第でどこまでも挑戦できたガイアックスの環境に加え、もう一つ理由があります。

自分の目的意識の持ち方かなと思います。僕はインターンシップを通じて、世界を変えていく能力を身につけたいという目標を自分でセットしていた。営業で結果を出したいということだけじゃない。自分の会社のつくり方や、世の中を変えていく仕組みを知りたいと思っていたので、新規事業を立ち上げるのは自分の中でマストでした。自社で新規事業がやれないなら、クライアントを通じて実現しようと思っていました。

そして実際、名古屋のクライアントと新規事業を立ちあげ、具現化されたサービスが世の中に届けられる様子を見て手応えを得ます。そして、ガイアックスでのインターンが3年になる頃、大学卒業後の進路について考え始めました。

(LITALICO社員総会より。今や従業員数は1000人を越える)

ガイアックスは、社風も人も大好きでした。でも、僕は、世の中を変えていくということに一番の優先順位を置いたチャレンジをしたかった。色々考えた結果、自分が命をかけてもいいと思える社会性が高い分野で、自分がやらなければ、向こう30、40年変わらない、そう思える社会課題に挑戦したい。僕は社会問題を根本的に解決するイノベーションに自分の情熱の全部をぶつけるような生き方がしたいんだと認識するようになりました。 そして、世界中の重要な課題に対して、自分にしかできないことに挑戦し続ける人生を送りたいと確信したんです。

教育や医療分野を調べている中で、友人からの紹介でLITALICOを訪れました。当時、LITALICOが関わっていた重度身体障がい者が入院する施設を一緒に見学に行ったときのことです。LITALICOからデータ入力の仕事を請け負っていた脳性麻痺の20歳くらいの女性との出会いが、長谷川さんのスイッチを入れることになります。

教育や医療などの業界をみていると、業界の今後のビジョンやこれから業界に起こすべきイノベーションについて、、パッとイメージが見えることはよくありました。ところが、彼女が抱えている問題の解決を考えたときどんな社会であれば彼女が幸せになれるのか?最初は思い浮かべられなかったんです。そこで、LITALICOに参画して、毎月2000円の給料を大切に両親のために貯金する彼女が幸せになれる社会をデザインすることを、人生のファースト・ミッションとして取り組むことを決めました。

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3年間ガイアックスで切磋琢磨した先輩や仲間との時間は、今でもとても印象に残っていると言います。東京では何名かの社員やインターン生と社員寮で共同生活をしていた長谷川さんは、同期のインターン生たちと食事に行くことはほとんどなく、寮で先輩社員の食事を作り、彼らがビジネスや経営について話すことに耳を傾け、視点を上げていたそうです。寮で同居していた現・AppBank株式会社のマックスむらい、こと村井智建氏には妙なライバル心があり、夜中に寝ていた当時役員の村井氏を起こし、「お前には絶対に負けない!」と言い放ったという逸話もあります。

寮での生活だけでなく、ガイアックスでは、経営の情報に自由にアクセスできたので、自然にアントレプレナーシップが形成された気がします。大手企業に対して、上司の承認を得なくとも自分の裁量で提案できるというのは、特異な恵まれた環境だったと、離れて初めて気づきました。また、メールで共有される経営会議の議事録を読むのを楽しみにしていました。自分が社長だったらどう経営するか?経営の疑似体験ができて、最高のケーススタディーになりました。ガイアックスでは、それまで自分が勝手に思い込んでいた色んな壁がとにかく壊され続け、全部なくなってしまったんじゃないかと思うくらいです。

後編では、そんな長谷川さんがLITALICO入社後に社長を引き継いで今に至るまでと、今後のLITALICOが目指す社会について、ご紹介します。(インタビュー:コーポレートカルチャー室 佐別当/記:たつみまりこ)

 


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