新しい事業や産業を作るなら 強烈な“熱量”が必要だ〜AppBank株式会社 村井智建氏インタビュー〜


AppBank」は、iPhoneや、iPadなどの総合サイト「AppBank.net」を運営し、ニュースのまとめやアプリレビュー、周辺アクセサリー紹介をしています。そのAppBank株式会社の創業者である村井智建さんは「マックスむらい」としてゲーム実況などの動画を発信し、今や子どもたちや学生に絶大な支持を集め、YouTubeのファン数は147万人を越え、国内屈指のYoutuberとして活躍。そんな村井さんも、ガイアックスを卒業した起業家の一人です。ガイアックスの上場10周年にあわせてインタビューをさせて頂きました。

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――御社の事業概略からお聞かせください。

村井:AppBank株式会社の取締役として、メディア事業部の部長として働いていますが、自分自身が現在、もっとも時間を割いているのは、動画がらみの仕事となります。「マックスむらい」という名前で自らが出演するカタチで、Youtubeに動画を公開したり、ドワンゴさんが運営するニコニコ動画というプラットホームで生放送を実施したりしています。とにかく、自分が発信できる情報を出し惜しみせず、常に120%、130%出し切っているのが現状です。次回のためにとっておこうと考えたり、出し惜しみなどしていたら、インターネットの世界において致命的とさえ考えます。出し切って、限界までやって、はじめて評価の対象となる。だから毎日がぎりぎりの勝負ですね。私の動画を見に来てくれる視聴者に「楽しかった」「また見に来たい」と言わせなければまったく意味がありません。出し惜しみなどしていたら、視聴者に見透かされてしまいますよ。また、インターネットの世界では質より量が求められます。AppBankが最初に評価を得たのも、他のアプリ紹介ブログメディアが2週間に1回ほどレビューを書いていたところ、私たちは1日に14~15本執筆してアップしていたから。Youtubeも、「がんばって1日1本の動画をあげましょう」などと言っている。なんてインターネットらしくないんだ!って思いますね。Youtubeのマックスむらいチャンネルには現在、動画が4400本アップロードされています。開設から2年弱という期間にですよ。コンテンツはたくさんあってしかるべきモノなんですよ。全部見なくてもいい。視聴者が好きなモノを見てくださいと。だから1日1本ではお眼鏡にかなうモノが用意できないかもしれない。そんな意識でやっています。

――村井さんがガイアックスに入社したきっかけを教えてください。

村井:2000年の7月にガイアックスに飛び込みました。大学を3ヶ月でやめて親に勘当され、故郷の石川県に帰りたくなくて、東京で生きていこうと。生きていくためには仕事をしなくてはなりませんからね。仕事の情報を得るために本屋に入って、たまたま手にしたのがITベンチャーを紹介するムック本でした。50社ほど掲載されていて、その中でガイアックスだけが求人の条件として「学歴不問」とありました。アポイントもせずに住所を調べて押し掛けていきましたよ。当時の私としては、「どの会社に働く?」という選択肢などなく、そもそもITなんてよくわかりませんでしたから、こう言っては失礼かもしれませんが、働けるのであればどこでもよかったのですよ。

――ガイアックスに在籍していた時代の思い出を教えてください。

村井:最初の1、2ヶ月間はまずパソコンを覚えることに必死でしたよ。出社初日なんて、パソコンの使い方すらわからなかったから、ずっと机の前でぼんやりしていました。営業会社なので、様々な商品を会社に売り込みに行くわけですよね。だから、「この会社、ちょっと調べておいて」なんて言われて、調査のような仕事をしていました。やがて自分自身も営業に出るようになりましたね。それから1年半は会社に寝泊まりして仕事をしていました。仕事、ミーティングだけではないですね、プライベートも含め、色々なことを上田社長はじめ、先輩社員から教わりました。その時に得たマインドみたいなものは、今の自分の中でも大きな位置を占めています。私よりも一回り以上年上の先輩方が、夜になるとみんなキャビネットから寝袋を出して机の下で寝はじめるのですよ、土日を含めて。労働基準法がどうのなんて感覚もない。一食30~40円の業務用パスタを買ってきて社内でゆでて食べて、夜中に閉店間際の銭湯に滑り込むという生活がごく普通に営まれていました。最近の人が聞くと「大変でしたね~。苦労されましたね~」なんて言われますが、それは全くの誤解で、苦労なんて意識はまったくなかった。当時の「ビットバレー」と呼ばれる企業のほとんどが基本、毎日会社に寝泊りをしていましたから。だから真夜中の銭湯で、同じような境遇の人たちと会うわけですよ。お互いに名前は知らないけれど言葉を交わしたり。「今日はこのまま家に帰るのですか?」「いえいえ、これからまた会社に戻って仕事ですわー」って、そんな調子ですからね。私を含め、みんな馬車馬のように身を削って働いていた。ものすごく熱中して働いていたんです。だから苦労なんかじゃない。そんな「ビットバレー」という熱の中に19歳の時に飛び込むことができたし、めちゃくちゃな会社が多かった中でも、ガイアックスは今でもそうですが、新しい事業や人を育てるという意識が強い会社でしたから、そこで揉まれることで、今の私のベースができあがっていきました。

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――子会社を任された経緯を教えてください。

村井:起業への意識などまったくありませんでした。私たち1981年生まれ世代は、基本的には出世したいとか、会社をやりたいといった意識が希薄で、めちゃめちゃ冷めているんですよ。でも、頭はいいし器用ですよ。やらせたらやるし、任されたら期待以上の結果を出す。でも自ら手を挙げて、「自分にやらせてください」と言うことはほぼありません。私自身、与えられたポジションでしっかり実績をあげて、営業の責任者を任されていましたし、ガイアックスが上場した時にも役員として迎えられ、売り上げのかなりの部分を担っていました。入社から5年経って、それまで本当に全力で駆け抜けてきたので、ここいらで一旦、区切りを付けようと考えました。特に次、何をやるとかいう考えもなかったのですが、一休みしたいんで、退職させてほしいと申し入れたのですね。そうしたら上田社長に強く引き留められまして。何度話しあっても平行線のままだったのですが、ある日、「わかった、村井君。じゃあ、給料の半分は今のまま保証する。何もしなくていいから、君のために子会社をひとつ作ろう。そこの社長をやってくれ。それでも半年後、やめようと思ったら思い通りにしてもらっていいから」と驚きの条件を提示してくれたのです。最初は、何もしないで給与をもらえるのなら悪くないなと思ったのですが、けっきょく休むことなく次の事業をスタートさせるのですね。上田社長はわかっていたのですよ。村井という男は休むような人間じゃないということを。その代わり、私の好きなようにやらせていただきたいと申し入れ、ひとりで鎌倉でワンルームを借りて、事業をスタートさせました。数年前から声が掛かっていた占いのコンテンツ化からスタートして、やがて現在のAppBankへと移行していきました。

――ガイアックスのメンバーにメッセージをお願いいたします。

村井:上田社長は、その子会社の立ち上げの時もそうだったし、そこから数年間、会社がうまく立ちいかない状況にあっても私を支え、守ってくれました。無条件の愛のようなものをたくさん与えてくれたのだと感じています。なぜ、そこまでしてくれたのか。自分でいうのも何ですが恐らく、上田社長が考える“ベンチャースピリット”みたいなものを私が体現していたからではないでしょうか。確かにガイアックス在籍時代には無茶なこともやってきたし、周囲の幹部との間に軋轢みたいなものもありました。しかし、常に新しい事業のアイデアを次から次へと生み出して、スピーディにカタチにしていく実行力については、誰にも何も言わせないような熱量と勢いがあったと自負しています。鎌倉に引っ込んだ時点から、現在の体制となったガイアックスとは7年もの間、接点を持つことはなかったので、現在の空気感とか、みんながどんな感覚で新しいビジネスを作っていこうと考えているのかはわかりませんが、当時のガイアックスが持っていた熱量を知る人間としては、少々物足りなさを感じるのは確かです。次に何をしよう?と熱中して考えていたら朝になっていた、そんな日々が何日も続く、あの感覚が好きでしたね。“新しい事業や産業を作る”ということを目指すのだったら、そのくらいの熱量や勢いは必要だと思うし、もっと熱く仕事をしてほしいと思います。中途半端な熱量だったら、混ぜてもらわなくても結構ですけれど、その熱量がとてつもなくいいものになったとして、これは面白いということになったら、ぜひ私も参加させてほしいものですね。そんな日がくるのを待っています。


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